古代メルブ

文化

            1999年に開催された第23回世界遺産委員会でトルクメニスタンのマリ州のバイ ラマリ市にある「古代メルブ」と呼ばれている国立歴史文化公園は世界中で非常 に価値がある歴史文化遺産としてユネスコ世界遺産リストに登録されました。古 代メルブは後述する2つの重要な特徴でこのリストに加えられました。

第一には、メルブオアシスの古代と中世の都市は4,000年間で中央アジアの文化 の発展に大きな影響を与えていたからです。第二には、メルブの青銅時代の時に ムルガーブ川の古い分流の近くの土地に存在し、そして現在はカラクム砂の中 にある失われた古代の都市、15~18世紀の堅陣と都市機能との両方を併せ持つ 素晴らしい独自の特徴があるからです。

何世紀もの間、この地域の首都だったのこの大都市は2,500年の歴史がありま す。メルブはバグダード、カイロやダマスカスのようなイスラム世界の文化的・ 政治的な中心地の一つでした。偉大なトルクメンセルジューク帝国の支配した 11~12世紀にメルブは発展しました。セルジューク帝国はアムダリヤ川から地 中海までの広大な土地に広がっていました。大セルジューク帝国の首都だったと き、メルブは640ヘクタールの土地を占めていました。メルブは世界で最も美しい都市の一つでした。この都市はムルガーブ川の命を与える水で豊かな収穫を与 える肥沃な土壌で形成されました。13に世紀でメルブに3年間住んでいた中世の 地理学者ヤクートはメルブについてこのようなメモを残しました。「モンゴルの 攻撃がなければ,人生が終わるまでこの都市に住んでいたいと思います。この場 所を離れるのはつらいです」。メルブはイスラム世界の科学者、詩人と商人に とって特に魅力的な都市でした。しかし1221年に、中央アジアの全ての都市と ホラーサーン地方の中心都市のメルブはモンゴル軍によって破壊されました。イ スラム世界の科学的宝物のメルブの素晴らしい図書館が焼かれました。モンゴル の戦士の野蛮な急襲の後、メルブは再びの繁栄を達成することができませんでした。

メルブは東から西に流れを変えているムルガーブ川の排水路に沿って位置していた都市と城郭で構成されています。その理由からメルブは「移民」または「流れる川」の都市と特色づけることができます。アンティーク時代に「マリギアナ アンティオヒヤ」として知られている西洋の歴史的な記録における現在のギャウ ル・カラは、かつては都市の中心であった現在のエルク・カラの隣に建てられました。セルジューク帝国の旧首都であった中世のメルブは、現在のスルタン・カ ラやギャウル・カラの跡地ではなく、その西の新しい場所に移動しました。

紀元前6世紀には、この地方の中心都市と主な軍事要塞としてギャウル・カラ は400ヘクタールの土地を持っていました。現在のスルタン・カラが確立して行 政の中心がそこに移動した後、中世のメルブはギャウル・カラ、前世紀の都市の 名残であるアブドゥラハン・カラとバイラマリハン・カラを含んで、1000ヘクタールとなりました。これはメルブがイスラム世界の大都市の1つであったという訳です。メルブの国境には、スルタンサンジャール霊廟や他のいくつかの建築 記念碑も含まれています。この歴史的および文化的遺産の複合体は、私たちの国 だけでなく世界全体にとって重要であることを考慮して、トルクメニスタン政府 は法の下にこの遺産を保護していて、現在では「古代メルブ」国立歴史文化公園 として構成されています。